「㠯」
釋義
甲骨文
殷代における「㠯(以)」字の用法は広いが、おおむね現在と同様の意味である。
- 動:もちいる。 ひきいる。
前:もって。~によって。~をひきいて。《合集》31977;歷二①辛亥,貞: [⿱匕鬯]㠯(以)衆灷,受又(佑)。《合集》35356;黄二②乙丑卜,貞:王其又升于文武帝祼,其㠯(以)羌,其五人正,王受又〓(有佑)。 - 動:もたらす。もってくる。献上する。《合集》33191;歷二①癸亥,貞:厃方㠯(以)牛,其登于來甲申。《合集》93正;賓一②己丑卜,㱿,貞:即以芻,其五百隹,六。
- 動:祭祀名。
- 《合集》32848;歷二①辛巳,貞:㠯(以)伊示。《合集》32543;歷二②庚寅,貞:王米于囧㠯(以)祖乙。
- 接:および。並びに。《合集》21562;子組①庚辰,令彖隹來豕㠯(以)龜二,若令。《合集》33278;歷二②辛酉,貞:王令○㠯(以)子方奠于并。
金文
金文における「㠯(以)」字の用法はとても広く、分類の難しい用例もある。- 動:ひきいる。引き連れる。小子[⿱夆囧]卣,《銘圖》13326;商晩①子令小子[⿱夆囧]先㠯(以)人于堇。小臣𬣆簋,《銘圖》05269-05270;周早②白(伯)懋父㠯(以)殷八𠂤(師)征東尸(夷)。師訇簋,《銘圖》05402;周晩③率㠯(以)乃友干(捍)䓊(禦)王身。
- 前:もって。~で。~によって。鼓䍙簋,《銘圖》04988;周早①王令東宮追㠯(以)六𠂤(師)之年。衛姒鬲,《銘圖》02802;周晩②衛㚶(姒)乍(作)鬲,㠯(以)從永征。曾伯漆簠,《銘圖》05980;春早③余用自乍(作)[⿺辶旅](旅)𠤳(簠), 㠯(以)征㠯(以)行,用盛稻粱。
- 前:もって。~によって。~にもとづいて。「是以」虢季子白盤,《銘圖》14538;周晩①折首五百,執訊五十,是㠯(以)先行。中山王鼎,《銘圖》02517;戰中②氏(是)㠯(以)賜之氒(厥)命。
- 前:もって。~をひきいて。ともに。=與麥尊,《銘圖》11820;周早①王㠯(以)𥎦(侯)内(入)于𡨦(寢)。虢仲盨蓋,《銘圖》05623;周晩②虢中(仲)㠯(以)王南征,伐南淮尸(夷)。食仲走父盨,《銘圖》05616;周晩③走父㠯(以)其子〓孫〓寶用。
- 前:もって。~を。~に対して。師旂鼎,《銘圖》02462;周中①吏(使)氒(厥)友引㠯(以)告于白(伯)懋父。曶鼎,《銘圖》02515;周中②㠯(以)匡季告東宮。𠑇匜,《銘圖》15004;周中③乃師或㠯(以)女(汝)告。
- 接:もって。そして。それで。善夫山鼎,《銘圖》02490;周晩①受册,佩㠯(以)出。晋侯蘇鐘,《銘圖》15307-15308;周晩②𩵦(蘇)𢱭(拜)𩒨(稽)首,受駒㠯(以)出。中山王鼎,《銘圖》02517;戰中③含(今)𫊣(吾)老賈,親率曑(三)軍之眾,㠯(以)征不宜(義)之邦。
- 接:および。並びに。=與夨令尊,《銘圖》11821;周早①爽𬢚(左)右于乃寮㠯(以)乃友事。大克鼎,《銘圖》02513;周中②田于[⿰⿱田山夋](峻),㠯(以)氒(厥)臣妾。大簋蓋,《銘圖》05345;周晩③余弗敢𫿣(吝), 豖㠯(以)𬑪(睽)[⿰舟頁](履)大易(錫)里。
- 助:場所や時間の範囲を示す。のみ。散氏盤,《銘圖》14542;周晩①眉(堳)自𬉄(瀗)涉㠯(以)南,至于大沽(湖)。新郪虎符,《銘圖》19176;戰晩②用兵五十人㠯(以)上,[必]會王符。
楚簡
用例が多く、用法も広い。代表的なものを示す。
- 前:もって。~で。~によって。包山《集箸言》144①小人信㠯(以)刀自㦹(傷)。郭店《老子甲》3②其才(在)民上也,㠯(以)言下之。清華貳《繋年》第十一章59③㠯(以)女子與兵車百𨌤(乘)。
- 前:もって。~によって。から。包山《疋獄》99①㠯(以)亓(其)反(叛)官,自䜴(屬)於新大[⿸厂⿰飠攵](廐)之古(故)。上博七《鄭子家喪》甲本6②㠯(以)子家之古(故)。清華貳《繋年》第十八章103③至今齊人㠯(以)不服于晉。
- 前:もって。~のときに。時間を表す。包山《疋獄》90①㠯(以)甘𠤳(固)之𫻴(歲)。包山《集箸言》132②㠯(以)宋客盛公[⿰畀臱](邊)之𫻴(歲)[⿰⿱井田刃](荆)𫵖(夷)之月癸巳之日。包山《集箸言》145反③㠯(以)八月甲戌之日。
- 前:もって。~をひきいて。ともに。=與包山《集箸》2①魯昜(陽)公㠯(以)楚帀(師)𨒥(後)𩫨(城)奠(鄭)之𫻴(歲)。上博四《昭王毀室》5②卒㠯(以)夫〓(大夫)㱃〓(飲酒)於坪澫。清華貳《繋年》第十九章106③吴縵(洩)用(庸)㠯(以)帀(師)逆[⿰㣇阝](蔡)卲(昭)侯。
- 前:もって。~を。~に対して。包山《集箸》159①罼(畢)紳命㠯(以)[⿰𪰊頁](夏)[⿺辶各](路)史、[⿺辶舟]史爲告於少帀(師)。上博二《容成氏》10②堯㠯(以)天下襄(讓)於臤(賢)者。清華貳《繋年》第六章35③秦穆公㠯(以)亓(其)子妻之。
- 接:もって。そして。それで。包山《受幾》22①不諓(察)[⿱陳土](陳)宔(主)[⿰角隼](顀)之[⿰昜刂](傷)之古(故)㠯(以)告。上博六《莊王既成》1②㠯(以)昏酖(沈)尹子桱。清華貳《繋年》第十六章90③厲公亦見𧜓(禍)㠯(以)死,亡𨒥(後)。
- 接:もって。~ので。~のために。包山《疋獄》93①𨛡(宛)人𨊠(範)紳訟𨊠(範)駁,㠯(以)亓(其)敓亓(其)𨒥(後)。清華壹《金縢》12②今皇天[⿺辶童](動)畏(威),㠯(以)章公惪(德)。清華貳《繋年》第十三章63③楚人被[⿱加車](駕)㠯(以)追之。
- 助:場所や時間の範囲を示す。のみ。上博二《容成氏》27①㙑(禹)乃從灘(漢)㠯(以)南爲名浴(谷)五百。上博六《競公瘧》10②自古(姑)、𧈡(尤)㠯(以)西,翏(聊)、𡥨(攝)㠯(以)東。
釋形
人が物を持っている形。「携える」「持ってくる」の意味を表している。殷村南派や周代には右部を省略した略体が用いられ、これが楷書の「㠯」の起源となっている。戦国時代秦国では略体に再び「人」を加えた字体が作られ、これが楷書の「以」の起源となっている。
古くは甲骨文の繁体について「氏(致)」「氐」字と釈す説が主流であった。また「㠯」の起源となった字体は「耜」の初文で農具の象形と考えられていた(徐中舒)。しかし、《合集》277と《合集》32023の対比などにより、「氏」「氐」と考えられていた字体と「㠯」とが繁簡関係にある同一字種であると指摘され、上記の旧説が否定された(島邦男、王貴民、林澐、裘錫圭等)。